昭和47年11月26日 特別奉修委員



 只今の御祈念中にこの口説くをもってあまねく至上に及ぼしって言う。仏道成就と言う言葉がありますかね。その事を頂くんですよ。是はあの皆さんがなら例えば、自分自身の事、または一家の事の願いの信心から、人の事が祈れれる。公の事が祈れれると言った様な事は、是はあのそう云う様な意味が、あのうこの真心と云う物が、あまねく至上に及ぼすと云う様なおかげになって来るんだと思うんですけど。そういう事がねそれが信心だと。それが信心の道が成就して行くんだという事だと思うんですよ。ね。
 ですから、信心の道というのは自分の言うなら我利我欲というかね。只自分の、あのうおかげを頂く事の為だけに、どんなに熱心な信心が出来てもそれは信心は成就しない。それでは。ね。やはりあの、段々信心が分かって来れば分かって来る程その、自他共に、の事が真剣に祈られる願われると云う様なその、信心になって初めて信心が成就する。本当の信心がね。という事なんです。
 だから是は願えと言って願えるもんじゃありませんよね。あのやはり自分の信心が其処迄、成長して参りません事には出来ませんですから。それが段々もっと垢抜けした、もっと広い大きな意味合いにおいてそれが真剣に祈れれる様になるという事が愈々信心。言わば仏道が成就して行くと言うていい。所謂信心の道が成就して行くという事だと思う。お互いの信心が、本当に成就のおかげを願わねばならんですね。おかげご利益が成就すると、あの願い事が成就するというのは信心の内に入らん。ね。